関西学院大、中央大を経て55年から実業団サッカーの古河電工(現Jリーグ・ジェフ千葉)入り。日本代表には中大時代から選ばれ、日本がW杯予選に初参加したスイス大会予選、54年の日韓戦に出場し第1戦で日本唯一のゴールを決めた。32歳で日本代表監督に抜てきされ、64年東京五輪で8強入り。68年メキシコ五輪では銅メダルに導いた。
その後、日本体育協会副会長なども歴任。94年に日本サッカー協会会長に就任し、2002年W杯の日本招致に尽力した。W杯は日韓共催となったが、在任中に日本代表は98年W杯フランス大会に初出場した。現日本サッカー協会最高顧問。[日刊スポーツ]
1968年のメキシコ五輪3位の代表監督。Jリーグ創設。2002日韓ワールドカップ招致。
日本のサッカーの歴史には必ずと言ってもいいほど顔を出していた、日本サッカー界の巨星でした。
色々と毀誉褒貶の多い人物でしたが…この人がいなかったら確実に今のサッカー界は無かったでしょう。
さて、今日は2010ワールドカップのアジア3次予選のオマーン戦。ここで3-0の大勝…
いい供養になったのではないかと思います。
心よりご冥福をお祈りします。
なんかの偶然とはいえ、日本サッカー界にとって運命的な日が2008年6月2日だった。そんな感じがする。
ま、負けられない試合にきっちり勝ったというのは大きいと思いますが。
次は誰か予測が付きませんが…